宮脇咲良

2014年3月11日の投稿とメンバーへのコメント

宮脇咲良   +5746 500

おはようございます。

今日は、3月11日。

東日本大震災から、3年が経ちました。

忘れてはいけないあの日のこと。

私達は、どんなに遠くにいても被災地の皆さんに、笑顔や元気が届くように、パフォーマンスをし続けたいと思います。


さくら咲け。



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宮脇咲良   +5645 500

こんばんは。

私は、今回参加が二回目となる被災地での被災地支援活動をさせて頂きました。

今回は、岩手県宮古市。

ニュースでは、何度も拝見したことはありましたが、実際に来るのは今日が初めてでした。

今回も、未熟な文章ですが、自分の想いを伝えたいと書かせて頂きました。
最後まで、読んで下さると嬉しいです。

岩手県についた私達は、実際に津波があった海へ向かいました。

3月11日14時46分黙祷。

海を目の前に、16人で黙祷を捧げました。

「あの高さまで、波が来たんだよ」
とスタッフさんに教えてもらいました。

想像もつかないくらいの波の高さでした。
私の身長の何倍もある津波。
少し理解するのに、時間がかかりました。

でも、その高さにある折れているパイプが全てを語っていました。


その後、三陸海岸の防波堤にも行き、お花をお供えしました。

防波堤を登り、高いところから眺めてみると、何もない平地が延々続いていました。
平地には震災前、建物やお家があり、沢山の方々が生活をしていたのかなと考えるだけで心が締め付けられるような思いでした。


そして、岩手県にある宮古市へ向かいました。


ライブは、体育館のような場所で行われました。

老若男女問わず、沢山の方々がわざわざ足を運んで下さって、とても嬉しかったです。

でも、その体育館はとても冷え込んでいました。
寒さに慣れていない私は、手足の感覚が徐々に無くなってきていました。

MC中に峯岸さんが、この体育館は震災の時避難所だったということを言っていて、びっくりしました。

こんな寒い場所に、不安な気持ちで避難していた皆さんの事を思い、もっともっと一生懸命歌おう、踊ろう、届けようと決心しました。

「桜の花びらたち」という曲を歌っているとき。
きっと初めて聞いた曲なのに、私達の手振りに合わせて踊ってくれている女性の方が二人いらっしゃいました。

すごく楽しそうに、一緒に踊ってくれて、私も「ああ。来て良かったな。」と心から思いました。


その後の握手会では、色んな方が沢山の言葉をかけてくださいました。


孫の手を握っているみたいでね〜…

福岡からわざわざありがとう

今日でファンになったよ!

また絶対に来てください。

手が温かくて、ホッとするよ

などなど。

中には、
サードシングル買うよ!と言ってくれる方もいてとても嬉しかったです。

特に印象に残っているのは、

被災地の文章、読みました。
泣いたよ。

と言って下さった男性の方です。

真剣な眼差しで、ぐっと手を握られた時は、素直に嬉しいと感じました。

私の文章で、泣いてくださる方がいるなんて。
私は、実際に震災を経験しているわけではないから、このような文章を書いたら被災地の方にどう思われるだろうかと常に思っていました。

でも、今日改めて実感しました。
私が、今までもそしてこれからも被災地で感じたことをもっともっと沢山の方に広めて、震災の風化を止めたい、と。

宮古市市長が、

少しずつボランティア活動も減っていって、この震災の事を忘れられるんじゃないかと悲しく思っています。
それでも、毎月東北に来て笑顔を届けてくれるAKBの皆さんに感謝しています。

と言って下さいました。



あの日から3年が経ち、徐々に復興をしている場所があります。


それとは裏腹に、まだ何も手のついていない場所もあります。

私達震災を経験していない人がすべきことは、忘れないということです。


忘れない。沢山の罪のない命が失われたということ。

大切な場所が一瞬で奪われてしまったということ。

今日という日を生きたかった人がいるということ。

伝えていこう。震災で学んだ事を。




岩手は、雪が降っていました。
雪が降り積もっているのに、空を見上げると太陽が眩しかったです。

きっとあの太陽は、寒い冬の希望になるのでしょう。

雲の間から顔を出す太陽は、少し少しずつ雪を溶かし、土の中から出て来た小さな芽に花をつける。





岩手には、もうすぐ春が来ます。

私達は、少しでも早く岩手に春を届けたい、そう感じました。


最後になりましたが、東日本大震災、そして、津波によって被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げると共に、一日も早い復興を願っています。

さくら咲け。

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